2019年4月30日火曜日

クナ族の家~その生活~ 平成最後のブログ

島を取り巻く家々












 クナ族は、島の周囲を取り巻くように家を構えています。

また、下の写真は、サン・ブラス諸島にあるクナ族の家の写真です。
家は、キビの茎を並べて造った壁に、ヤシの葉で葺いた屋根がのっているという、素朴な造りのものです。窓がなく、壁のすき間から日が差す程度なので、家の中は昼間でも薄暗いのです。

しかし、1年を通して暑いパナマですが、日が差し込まず、壁のすき間から風が入ってくるため、一日中涼しいという利点もあります。家の外には、モラやモラブラウスを吊るしていることが多いのです。

家の内部は、居間兼寝室の棟と台所の棟があります。煮炊きをするのに薪やヤシの実の殻を燃やすので、別棟にしないとすすがついて大変なのでしょう。

また、居間にはハンモックがあり、夜になると、そのハンモックで寝ます。つまり、クナ族はハンモックがベッドになるのです。
 
クナ族の家
NHK世界手芸紀3」によると、一軒一軒の家は、どれも非常に大きく、広い空間を持ち、家では一族が一緒に暮らしているのです。
親族による共同生活というのは、クナ族の生活形態の中でも特徴的なものであるといわれています。


参照:クナ族の家 「サンブラス諸島旅行:作業療法/パナマ/青年海外協力隊」

参照:YouTube  Kuna Yala montage「johnmckay71」
サンブラス、クナ族の様子を4分弱にまとめた動画を見つけました。




2019年4月21日日曜日

太陽をまとった人々 ~クナ女性の化粧~


サブドゥルの実
アチョーテの実
クナ族の女性は、サブドゥルとアチョーテという木の実の汁で化粧をします。

もともとは、悪霊が身体に侵入するのを防ぐ、「魔除け」のためにされていた化粧でしたが、現在では、美しく見せるために施しているとされています。

サブドゥルの汁は黒色で、鼻筋の真ん中に黒く細い線を描くのに使います。こうすることで、鼻筋が高く、顔全体がほっそりと見え、美人になるのだそうです。

化粧をした女性


また、アチョーテの汁は赤く、頬紅として使用するのです。
特に「魔除け」という伝統に忠実な年配の女性ほど、頬紅を真っ赤に塗る傾向があります。

そして、全身を華やかに着飾ったクナ族の女性は、その容姿から「太陽をまとった人々」とも呼ばれているのだそうです。


(出典:写真は『NHK世界手芸紀モラ/グアテマラの織物編』より引用)






     


2019年4月11日木曜日

クナ女性の服装


クナ族の社会は女性優位です。
吉田穂高先生は、その著書「季刊民俗学2で「クナ族の女性は自分たちの生活を保守する意志が強く、一家の最年長の女性が商売も家事の一切をもまかなうなど、すべてに権威を持っている。」と述べられています。

確かに、私がパナマで出会ったクナ族は、穏やかでおとなしい男性が多い反面、女性はどの年齢層も明るく元気で、けっこう活力のある人が多いように思いました。
クナ女性のパワーやバイタリティーを強く感じたこともたくさんありました。

さて、そのクナ女性の服装はというと、もちろん、誰もが民族衣装の「モラ」を身に付けています。

しかし、その女性たちをさらによく見ると、頭には赤地に黄色の模様をプリントした布をかぶっているのです。

これは、Musye「ムスウェ」と言われるもので、どのクナ族も皆、赤色の頭巾をかぶり、赤色以外の頭巾はないのです。

また、下半身には、紺系や黒系のプリント地のSapurrete「サプゥレッティ」と呼ばれる腰巻のような布を巻きつけています。柄は緑色や黄色などいろいろな色の様々なデザインが施されています。

NHK世界手芸紀3」には、クナ族の女性の格好を見て、「彼女らの服装は、全部が驚くほど派手な色なのに、それぞれの色がけんかせず、何となく統一されています。たぶん、頭巾と腰巻の赤と紺の二色が、全体を引き締めているのでしょう。」と述べられています。

また、手首と腕、足首とふくらはぎの部分には、Wini「ウィニー」と呼ばれる幅広のビーズの飾りをきつく巻きつけています。

さらに、アクセサリーは、イヤリングとネックレス、そしてArcolla「アルコジャ」と呼ばれる金の鼻輪をしています。

しかし、この鼻輪を付けている女性は、年配の方が多いのですが、今では、鼻輪を付けたクナ族はなかなか見られなくなってきているのです。





2019年4月3日水曜日

4つの地域に住むクナ族



クナ族の種族については様々な説があります。

初期のモラ研究で著名な檜枝茂信先生は、「マヤの流れをくむアメリカ・インディオの一種か、また東洋から流れついた民族か。一説にはアラブ系、メソポタミア系の人種ではないかともいわれている。カリブ海にすみながら、カリビアンとはまったく異なり、どこかしら東洋的な風貌さえもつ謎のインディオである。」とその著書「MOLA モラ・サンブラスの芸術」で述べています。

また、モラ作家の前田佳子先生は、ご自身の著書で、「海沿いに住む南米カリブ部族の子孫であるという説もある一方で、東南アジアからやってきたとする説もあります。日本人よりやや小さく、その顔立ちはモンゴル人種とよく似ています。」と述べています。

さらに、モラ作家の小林早苗先生も、著書の中で、「クナ族の文化は、東南アジアを起源に6000年の歴史があると信じる一部人類学者もいること、クナ族はピグミー族に次いで世界でも番目に小さな人たちで、身体的な特徴はカリブ海の他の種族とは明らかに違う。」という2点を述べています。

これらのことから、クナ族は東洋系の種族であると推測ができます。

実際、クナ族に会ってみると、確かにアジア系の民族に似ていると感じます。
特にクナ女性の中には、日本人にもこんな顔した人いるなあと思える人もいます。
私がクナ族に親しみを感じることができるのも、ひょっとしたら、同じ民族としてのつながりがあると無意識のうちに感じているからかもしれません。

 それから、小林先生は、クナ族には4つのグループがあると述べられています。

下の図は、クナ族が住む地域を表した図を表したものです。
その4つのグループは次の箇所に住み分けられます。

①サン・ブラス諸島に住むクナ族
②ダリエンのジャングルに住むクナ族
③バヤノ川(パナマ湾に流れ込む)地区に住むクナ族
④コロンビアに住むクナ族
 クナ族の住む地域として代表的なのは、サン・ブラス諸島である。




出典:「クナヤラ諸島」をもとに加筆(パナマ・コロンビアに住むクナ族)

2019年3月21日木曜日

クナ族独立革命の父 ネレ・カントーレ


独立心旺盛なクナ族は、その歴史の中で、スペイン人や他のインディオ、そしてパナマ政府を相手に、数限りない戦いを繰り返してきた歴史があります。

1920年代半ば、パナマ政府は、クナ族に対して民族同化の弾圧を行いました。

クナ族の女性は、その過程の中で、モラスタイルからパナマスタイルへと衣装を変えた女性もいたとされています。

1925年、一部のクナ族の反乱から、パナマ政府に対して、自治権獲得の運動へと発展することになりました。

「Nele Kantule」の画像検索結果クナ族の大酋長であるネレ・カントーレ(1868~1944)は、クナの民族を一つにまとめていきました。その結果、アメリカの調停にも助けられ、ようやく自治権を獲得したのです。

この権利は、パナマに属しながらも、パナマ政府の干渉は受けないという、クナ族にとって、画期的で特殊な地位を確立することとなりました。

今でも、独立の父、ネレ・カントーレはクナ族全体の尊敬を集めています

彼の出身島であるウストゥプ島の住民は、サン・ブラスの島々の中でも民族意識がひときわ高く、クナ族のリーダー的役割を自負しています。

次々と他の島が観光化していくなかで、ウストゥプ島の人々が頑ななまでに自分たちの生活を守り続けているのは、彼らの誇りの高さゆえであるとされているのです。

 クナ女性の伝統的で美しいモラは、クナ族の主体性を象徴する重要な衣装の対象となったのです。

※動画は、クナ族独立革命のイメージ



2019年3月17日日曜日

クナ族独立革命


季刊民俗学という本の中に、クナ族に書いている箇所があります。

「クナ族は、もともと大陸のジャングル地帯に住んでいました。
しかし、ジャングル特有の高温多湿の気候や蔓延するマラリアなどの病気、フランスのユグノー教徒など他民族からの迫害を逃れ、18世紀末から19世紀にかけて、サン・ブラスの島々に移り住んで来た」とされています。

その結果、クナ族は、他民族に対しては、やや排他的なところがあるといわれています。

しかし、カリブ海という地の利を生かして、コロンビアやアメリカと交易するなど、海外との接触は常に保ってきたようです。

「世界の手芸紀行3」(NHK取材班)には「サン・ブラス諸島の一つであるウストゥプ島の船着き場には、今でも毎日、コロンビアからの貿易船が着岸して、石鹸や衣料などの日常物資を持ち込んでいる」と記されています。

サンブラスの島々へ向かうツアー船
そのため、やや排他的で、自給自足の生活を基本としているクナ族は、徐々に現代文明の影響を受けています。

サンブラスでは、クナの子どもたちはドラゴンボールやポケモンが大好きです。

パナマ市内でも、Tシャツを着て歩くクナ族の女性もたくさん見かけるようにもなりました。


Tシャツでモラを売るクナ女性

旧市街地で見かけた若いクナ女性
 しかし、こうした近代化した波に直面しながらも、彼らが何物にも干渉を受けず、昔ながらの独自の文化や習慣、衣装、言語などを守りながら、平和に暮らしているのは、1925年に起こったクナ族独立革命による自治権獲得の歴史があったからなのです。





2019年1月6日日曜日

パナマとクナ族の歴史



 クナ族は、クナ語という独自の言語
を持っています。
 しかも、文字を持たなかったため、
彼らの歴史は定かではありません。 

 これは私見ですが、詳しいクナ族の
史が載っている本や文献は、パナマ
やアメリカ、ヨーロッパにはきっとあ
ると思うのです。

 残念ながら、外国の本を調べたり、
見つけたりする術(すべ)ありま
せん。
 しかし、実は日本にもクナ族に関す
歴史や興味内容が載っている
本は出版されています。

 それは、「世界の手芸紀行3 モラ・
グアマラの織物編」(NHK取材班著)
「フリーハンドのモラづくり」(小林
早苗先生著)です。
 この2冊には、クナ族やモラに関して
面白い内容が見られます。

 それを参考に「パナマとクナ族の歴
史」を簡単な年表にまとてみました。

 文字に色がついている箇所は、クナ族
に関わる事柄です。 

 パナマとクナ族の歴史
1492
コロンブスが新大陸を発見。以来、大西洋を越えてヨーロッパの列強、スペイン、イギリス、フランスなどによる侵略と支配の歴史が始まる。
1513
・スペイン人の冒険家バルボアが、クナ族の情報と助けを得て、南の海、太平洋を発見。
・パナマ地峡は大西洋と太平洋間の交通の要衝として重視され、後の運河建設につながる。
・バルボアによる太平洋発見が、スペインの南米大陸侵略の足がかりとなる。
・バルボアはパナマの通貨単位として使われている。
・バルボアはクナ族酋長の娘と内縁関係にあった。
1521
スペイン人エルナン・コルテスによりアステカ帝国征服。
1533
スペイン人フランシスコ・ピサロによりインカ帝国征服。パナマは常に勢力拡張・物資輸送の拠点であった。
17171739
パナマは、スペインの植民地ヌエバ・グラナダ副王領に編入される。
(現在のエクアドル・ベネズエラ・パナマを含む)
1821
パナマはスペインから独立を宣言。同時に主体的にグラン・コロンビアに加わる。
1830
ベネズエラとエクアドルが分離したためグラン・コロンビアは解体。
1831
ヌエバ・グラナダ共和国が成立。(パナマとコロンビアを含む)
1840
年代
アメリカ東部から同国太平洋岸への移住と、カリフォルニアでの一攫千金を狙うゴールドラッシュにより、陸橋として多大な利用がなされる。パナマ地峡横断の必要性がより増す。
1850
アメリカによりパナマ鉄道建設着工。
1855
パナマ鉄道完成。以後15年間、アメリカ大陸横断鉄道開通まで活況を呈した。
1880
スエズ運河建設を成功させたフランス人ド・レセップスによりパナマ運河建設着工。
1888
フランスはパナマ運河建設を断念。マラリアによる人的被害や技術面、資金面などにより失敗。
1903
パナマ共和国は、アメリカの支援によりヌエバ・グラナダ共和国より独立。見返りとして運河条約調印。
アメリカは運河建設に関する権利と運河地帯の永久租借権などを獲得。パナマの主権を無視した不平等条約であった。
1914
パナマ運河開通。アメリカ人軍医ゴーガスのマラリア対策が成功の大きな要因。
1920年代半ば
クナ族に対して、パナマ政府や警察による民族同化の弾圧が行われた。
1925
一部のクナ族の反乱から、自治権獲得の運動へと発展。
自治権獲得。サン・ブラス地域(サン・ブラス諸島およびパナマ東岸沿いの地域)は、クナ族の保留地となる。
1936
パナマの権利改正を認めた友好協力一般条約調印。
1962
アメリカ橋開通。南北アメリカ大陸は運河開通により切断されたようなもので、この橋によって唯一陸上移動が出来る。
1977
新運河条約成立。これにより運河返還が約束される。
1999
1231日、運河は完全にパナマ国家に返還された。パナマ国内での反米運動、ナショナリズムの芽生え、軍事政権の支配。又、パナマ・アメリカ両国間をとりまく国際状勢の変化などを経て、ようやく主権国家として独立を果たしたことになる。