2018年7月14日土曜日

モラの話1 モラの起源


モラは、原始的な模様のせいか、ずいぶん昔からつくられているように思われていますが、実は、20世紀になってから急に発達したものだといわれています。
モラを縫うクナ族は、長い間、鎖国状態を守ってきたので、外国人による記録は、あまり残っていません。

 初めてクナ族の記録が見つかったのは、17世紀後半に、海賊船に乗り込んでいた英国人の外科医であるライオネル・ウォーファーの本といわれています。

 彼は、1681年、負傷してクナ族に助けられました。そして、数ヶ月間クナ族とともに暮らし、その経験をもとに記録を残したのです。

 その中には「女性は膝丈のスカート。男性は頭から足まで、はでな刺青かボディペイントが、女性によってなされていた」「……女たちは絵かきだ。とても楽しそうに絵を描く。彼女たちが一番多く使うお気に入りの塗料は、目のさめるように美しい赤、黄、ブルーである。……鳥、動物、人、木などを身体中いたるところ、特に顔に描く。……彼女たちが空想のままに描いた次元の違う絵なのである」と。

 ウォーファーは、この民族は男性も女性も日常的には上半身裸で、露出した肌に、さまざまな色のボディー・ペインティングを描いていたという記録を残しています。

 クナの女性たちは、露出した肌に、様々な色を使って、思いのまま創造力豊かな模様を身体に描いたのではないかと推測できます。

 これらのことから、クナ族のボディー・ペインティングがだんだんと発展して、今のモラの誕生のもとになったのではないかということは、容易に想像できます。

 また、ウォーファーは、儀式用のドレスの裾に刺しゅうがほどこされているのを見たという記述も残しています。ただ、何も証拠となる物が残っていないので、今となっては、クナ族自身でさえ、その起源を語ることはできないのではないでしょうか。

 もとは魔除けのためのボディー・ペインティングが、だんだんとおしゃれを目的とした装飾性の強いものに変わっていき、それが現在のモラに変化したという、大方の類推は、もっともなことのように思われます。

 また、モラの誕生は、クナ族がパナマ本土のジャングルから島へ移住した時期と重なります。当時のモラは、ブラウスというよりワンピースに近く、モラ自体もずいぶん大きいものでした。