2019年1月6日日曜日

パナマとクナ族の歴史



 クナ族は、クナ語という独自の言語
を持っています。
 しかも、文字を持たなかったため、
彼らの歴史は定かではありません。 

 これは私見ですが、詳しいクナ族の
史が載っている本や文献は、パナマ
やアメリカ、ヨーロッパにはきっとあ
ると思うのです。

 残念ながら、外国の本を調べたり、
見つけたりする術(すべ)ありま
せん。
 しかし、実は日本にもクナ族に関す
歴史や興味内容が載っている
本は出版されています。

 それは、「世界の手芸紀行3 モラ・
グアマラの織物編」(NHK取材班著)
「フリーハンドのモラづくり」(小林
早苗先生著)です。
 この2冊には、クナ族やモラに関して
面白い内容が見られます。

 それを参考に「パナマとクナ族の歴
史」を簡単な年表にまとてみました。

 文字に色がついている箇所は、クナ族
に関わる事柄です。 

 パナマとクナ族の歴史
1492
コロンブスが新大陸を発見。以来、大西洋を越えてヨーロッパの列強、スペイン、イギリス、フランスなどによる侵略と支配の歴史が始まる。
1513
・スペイン人の冒険家バルボアが、クナ族の情報と助けを得て、南の海、太平洋を発見。
・パナマ地峡は大西洋と太平洋間の交通の要衝として重視され、後の運河建設につながる。
・バルボアによる太平洋発見が、スペインの南米大陸侵略の足がかりとなる。
・バルボアはパナマの通貨単位として使われている。
・バルボアはクナ族酋長の娘と内縁関係にあった。
1521
スペイン人エルナン・コルテスによりアステカ帝国征服。
1533
スペイン人フランシスコ・ピサロによりインカ帝国征服。パナマは常に勢力拡張・物資輸送の拠点であった。
17171739
パナマは、スペインの植民地ヌエバ・グラナダ副王領に編入される。
(現在のエクアドル・ベネズエラ・パナマを含む)
1821
パナマはスペインから独立を宣言。同時に主体的にグラン・コロンビアに加わる。
1830
ベネズエラとエクアドルが分離したためグラン・コロンビアは解体。
1831
ヌエバ・グラナダ共和国が成立。(パナマとコロンビアを含む)
1840
年代
アメリカ東部から同国太平洋岸への移住と、カリフォルニアでの一攫千金を狙うゴールドラッシュにより、陸橋として多大な利用がなされる。パナマ地峡横断の必要性がより増す。
1850
アメリカによりパナマ鉄道建設着工。
1855
パナマ鉄道完成。以後15年間、アメリカ大陸横断鉄道開通まで活況を呈した。
1880
スエズ運河建設を成功させたフランス人ド・レセップスによりパナマ運河建設着工。
1888
フランスはパナマ運河建設を断念。マラリアによる人的被害や技術面、資金面などにより失敗。
1903
パナマ共和国は、アメリカの支援によりヌエバ・グラナダ共和国より独立。見返りとして運河条約調印。
アメリカは運河建設に関する権利と運河地帯の永久租借権などを獲得。パナマの主権を無視した不平等条約であった。
1914
パナマ運河開通。アメリカ人軍医ゴーガスのマラリア対策が成功の大きな要因。
1920年代半ば
クナ族に対して、パナマ政府や警察による民族同化の弾圧が行われた。
1925
一部のクナ族の反乱から、自治権獲得の運動へと発展。
自治権獲得。サン・ブラス地域(サン・ブラス諸島およびパナマ東岸沿いの地域)は、クナ族の保留地となる。
1936
パナマの権利改正を認めた友好協力一般条約調印。
1962
アメリカ橋開通。南北アメリカ大陸は運河開通により切断されたようなもので、この橋によって唯一陸上移動が出来る。
1977
新運河条約成立。これにより運河返還が約束される。
1999
1231日、運河は完全にパナマ国家に返還された。パナマ国内での反米運動、ナショナリズムの芽生え、軍事政権の支配。又、パナマ・アメリカ両国間をとりまく国際状勢の変化などを経て、ようやく主権国家として独立を果たしたことになる。