2018年8月11日土曜日

モラの話3 モラの発達


モラ作家の小林早苗先生は、著書「フリーハンドのモラ作り」の中で、
記録上明らかな最古のモラについて、下記のように記しています。

1909年、エレノア・ベルはクナ族の集落を訪れ、この時収集されたモラはスミソニアン博物館に現存しています。記録上明らかなモラとしては一番古いものです。」

「彼女達は短いスカートと色布のシミーズのような物を衣服としている。これはとても奇妙なデザインで形作られていて、いくつかの層があり、ていねいにアップリケされている。」と述べています。

1912年、初めてモラを着たクナ族の女性が写真撮影されている。この時の女性は、無地や既製のプリントで、大きなヨークと小さくて短い袖で作られた長いシミーズのようなブラウスを着ている。」

「ある物はブラウスの裾に沿ってモラが細工され、別の物はモラの細工がブロードのパネルになされて、大きなヨークに垂れ下がっている。」と説明しています。


また、1922年には、イギリス人で探検家のレディ・リッチモンド・ブラウンがサン・ブラス諸島及びパナマ本土山間部ダリエンを探検した際に、
「女性は鮮やかなデザインのスカーフで頭と顔をほとんど覆い、びっくりするような上部から成るブラウス(というより上着)に、別布の腰巻をつけている。」という、モラを着た女性についての記述を残してます。

レディ・リッチモンド・ブラウン
レディ・リッチモンド・ブラウンは、この時、1600枚にも及ぶモラをイギリスに持ち帰ったそうです。

これらのことから、時代が進むにつれて、ゆったりしていたモラの服装は、体の線に沿った服装になり、モラブラウスの上に腰巻を巻き付けた現代のスタイルへと変化していきます。

そして、100年足らずの間にモラは発展し、20世紀には現在のモラファッションが確立していたといえるのではないでしょうか。

多彩な色布の入手が容易になっている現在では、ボディペイントで描かれていた魔除け目的の模様が、装飾性の強いものに変化していき、クナ族の女性が自分自身を飾るために多彩な色を使い、おしゃれに磨きをかけているようにみえるのです。
20世紀前半頃のモラ(オールドモラ) 


2018年8月6日月曜日

モラの話2 モラの誕生


今から約200年前、19世紀半ばごろ、クナ族の住む島サンブラス諸島にキリスト教が入ってきました。宣教師たちは、キリスト教の布教だけだなく、クナ族の服装にも影響を与えたといわれています。

モラ作家であり、モラの研究者として有名な宮崎ツヤ子先生は、
「モラ カリブの民族手芸を楽しむ」の著書の中で、
「クナ族の女性に用いられたのは西欧のシャツやブラウスではなく、昔ながらのサックドレスであった。サックドレスは、特別の人が特別の機会(儀式)に着るものであったが、布地が手に入るようになるにつれ、着る人の層が広がり、着る機会も増えたものと思われる。しかし、膝丈のサックドレスを着るようになると、せっかく描いたスカートの模様が下に隠れて見えなくなってしまうので、その模様をサックドレスに移そうという試みが、モラの発生につながっていったと考えられる。」と書かれています。

つまり、モラの歴史は、この寸胴形のサックドレスの裾の部分から始まります。

 初めは別色の布でぐるりと帯状についていたサックドレスだけでしたが、やがて、ごく簡単な刺繍が施されるようになり、その刺繍の部分の幅が徐々に広がってモラに発展していったのです。

「最初の頃のモラは、おそらくシンプルな幾何模様ではなかったかと想像される。連続した線模様を布で表現したいとクナの女性たちが願ったときに、モラの手法が考え出されたのではないだろうか。布を二枚重ね合わせ、上の布をごく細長い短冊形に切りぬくと、下の布が線状になって現れる。その線を固定するために針と糸が使われる。この原理の実践がモラ刺しゅうの出発点であろう。」と述べています。

さらに、「色を増すためには、さらにもう一枚布を重ね、すでにでき上った線(ライン)のまわりに沿ってカットし、下の二色をのぞかせながらまつり縫いをするのである。」とモラの特色を述べています。

また、立教大学の石堀真弓先生は、
「モラ クナ族の民族衣装と民族意識についての一考察」の中で、
「モラの誕生について、貴重だった布を長持ちさせるためにかぎ裂き繕いを利用して模様にすることを考え出したのではないかと考えている。」と述べています。

お二人の考えをまとめると、単に布に模様を描いたり、布を繕ったりするだけではなく、繕いを通して模様を描いていったのだと考えることができます。
そして、徐々に手に入ってきた色布を重ねていき、複数色の丈夫なモラが誕生したのではないでしょうか。

宮崎先生は、「モラのついた初期の頃の服は、膝丈まであり、身幅もゆったりしていたが、現在用いられているようなプリント模様のスカート生地が大量に出回り、服の上から巻くオーバースカートとして用いられるようになると、このモラワンピースの丈は急速に短くなり、モラの部分が胸元まで上がってきた。これがモラブラウスの始まりといえる」と述べています。

昔は、丈が長く、刺繍も簡素なサックドレスを身に付けていたクナ族が、百年足らずで、今では、素晴らしい刺繍を施したモラを身に付けるようになりました。
なぜ、こんな短期間にこんなにも素晴らしい刺繍が縫えるようになったのでしょうか。

私が出会ったクナ族たちは、毎日毎日、何時間もただひたすらモラを縫っています。
小さい頃(小学生の頃)から人生を終わるまで、ただただ縫い続けているのです。

私は、たくさんのモラを見てきました。
人がどうして手縫いだけで、こんなにも素晴らしい刺繍を縫うことができるのか、その驚きと感動を一緒に語り合えたらどんなに嬉しいかと思うのです。
モラを売るクナ族の女性 胸には素晴らしいモラの刺繍です

クナ族の女性は、頭はみんな赤色のスカーフをしています